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咳をする時間

もうすぐ咳をする時間。

縄梯子の夢から醒めるためにロープを切り落とした。腹が減っていたが、それよりももう一度眠りたかった。トイレは遠く、開いてる窓からはすきま風が入り、屋根には修理が必要だ。そんな時にお前は咳をする。誰もいないのに、誰かに伝えるために。俺がここに隠れていることを。もう少し経ったら裏口に車をまわしておいてくれ。ヘッドライトを消して、エンジンをかけたままで待っていてくれ。誰かがボストンバッグを持って裏口から飛び出してきたら、それが俺だ。咳ひとつしないで待っていてくれ。

もういちどだけ咳を。

いいじゃないか。もう分かってしまったことだろう。お前の正体と組織の陰謀と燃やされた議事録が電光掲示板で揺れて光っているのだから。ああ埃はひどいよ、お待たせしすぎてもうこびりついている、だから、もう下げて下げて、新しいオムレツを、今度は違う鳥の卵を使って、北へ戻ることを知らない鳥の卵を使って。ケチャップって知ってるか?マヨネーズは?ああそう、なら塩と胡椒だけでいい。塩もないの、こんなに海に近いのに。じゃあ胡椒だけでも振りかけてくれよ、違うチガウ、瓶をそんなに振り回してどうするの、それじゃあ俺たちはくしゃみをするしかないじゃないか、咳をするかわりに。

もう誰もが咳を。

サイレンが鳴り響く。工場の終業時間。ベルトコンベアが止まり、外に溢れ出す人々が、かちりかちりとライターを鳴らし、缶コーヒーを開け、ゼンマイを巻き、唾を吐き、笑い合う。誰もが咳をする時間。やっと好きなだけ咳をして肺の奥から粘ついた疲労を吐き出せる時間。映画は終わり、照明がまた灯った。鈍いオレンジ色。さあどこへ行く。外はまだ雨。

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